ホテルでの便利の言葉

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ドイツに着いて殆どの場合、ドイツの方に迎えられ、ホテルまでつれて行ってもらいます。大都会では五つ星のホテルが多くて、英語も通じますが、特に田舎の小さなホテル「ガストハウス」に泊まるとドイツ語の基本言葉がわかると便利です。 「グーテン・ターグ」(こんにちは)「マイン・ナーメ・イスト・コーイチ・タナカ」(田中幸一と申します)とフロントの人に言って、予約を確認してもらいます。 ドイツ人は日本の名前の場合どちらが名字なのかわからないので、その時、名字ではなく、名前で登録される可能性も高いです。 五つ星のホテルならキーカードが普通ですが、ガストハウスの場合、カードではなく鍵になります。入り口もフロントも遅くて大体午後10時からしまるので、メーンドアの鍵も鍵の中についています。鍵の回し方も、以前にご紹介したように、時計回りにするとドアがあき、逆回しすると鍵をかけます。 部屋の番号とエレベータの階数 出かけるとき、鍵をフロントに提出するときは、部屋番号もドイツ語でおぼえたほうがいいでしょう。 0 ヌル 1 アインス                 11 エルフ 2 ツワイ                      12 ツウェルフ 3 ドライ                       13 ドライツェーン 4 フィア                  … Weiterlesen

ドイツ語で挨拶しましょう

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ドイツに出張するときはほとんど英語で話しますが、相手がドイツ人なら、ドイツ語で挨拶すると大変喜ばれます。 歓迎の言葉 朝9時までぐらいは「グーテン・モーゲン」(おはようございます)を使いますが、地方によっては違う言葉を使います。ドイツの北の方、ハンブルグ周辺は「モイン・モイン」といいます。 一般に「今日は」は「グーテン・ターグ」で、「今晩は」は「グーテン・アーベンド」です。ミュンヘンとシュトゥットガルトなどドイツの南の地方では、時間と関係なくいつでも「グリース・ゴット」(神様に挨拶)といいます。 知り合いと再会した時に、「お久しぶりです」をドイツ語の「ランゲ・ニヒト・ゲセーヘン」という言葉で話しかけると、ドイツ人はびっくりします。 「お元気ですか」のドイツ語を聞く場合、「ウイー・ゲート・エス・イーネン」と聞こえます。これに対する返答はほとんどの場合「ダンケ・グート・ウンド・イーネン」となります。意味としては「おかげ様です、貴方は?」に近いもので、ただ質問が返されることになります。そのときの返事はまた「ダンケ・グート」となります。 お別れの挨拶の言葉 お別れのときは「アウフ・ウイーダゼヘン」(またお目にかかる)を使いますが、翌日また会う予定があれば、「ビス・モーゲン」を使ってもいいです。「ビス」は「また」という意味で、「ビス・ネヒステ・ウオヘ」が「また来週」の意味で、いろいろな挨拶の言葉に使います。たとえば、「ビス・モーターグ」のように曜日との組み合わせでもいいです。 月曜日   モーンターグ 火曜日   ディーンスターグ 水曜日   ミットウオヘ 木曜日   ドナースターグ 金曜日   フライターグ 土曜日   ザムスターグ 日曜日   ゾンターグ 食事の後、夜遅くお別れするときは「グーテ・ナヒト」(お休みなさい)と言ってもいいですが、午後6時からオフィスを出るときはむしろ「アイネン・シェーネン・アーベンド」(いい夜を過ごしてください)と挨拶をした方が良いでしょう。 また出張が終り日本に帰る時に、「お元気で」の意味で「マヘン・シー・エス・グート」といいますが、またよく聞く挨拶の言葉は「グーテ・ライゼ」(よい旅をしてください)です。 では、次のブログ・ポーストまで「ビス・ツム・ネヒステン・マール」 (また今度まで)      

初めてドイツにいらっしゃる時

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初めてドイツにいらっしゃるときはいろいろと不思議を体験します。 まずは頭で理解しても、体が無意識的にそうするのようになるまでは相当の時間かかります。例としましては、皆様ドイツでは交通は反対側だ、という事実をご存じでしょうか? だから、最初に考えなければいけないことは、道路を渡るときまずは左側を確認し、右側を確認してから渡るということです。 しかし、交通だけではありません。歩道を歩いたり階段を上ったり下ったりする時も右側に歩いたほうがスムーズに通れます。エスカレータだけが日本と違って、右側に皆様立っていて、左側を上ったり下ったりします。ちなみに、階段の回り方も日本と反対で、上ってきて、次の階段を上りたい場合、右へ曲がります。ドイツでは常に右側を歩いたら、迷うことはないだろうと思います。 もう一つ大事な事があります:ドイツではデパートなどは自動的にドアが開いたりしまったりしますが、タクシーや電車などの交通手段の場合、自動的に開かないものが圧倒的に多いのです。次の停留所でおりたい場合はそのまえにボタンを押して、バス運転手に願いした場合、当然にドアを開けてくれるのですが、、各駅停車の路面電車と電車の場合、ドアを開ける場合は、まず停車になってからボタンを押さなければなりません。 ちなみに、タクシーはホテルのフロントで呼んでもらった方が良いでしょう。もしくは空港・駅などでタクシー・スタンドがありますので、順番に乗っていきます。ドイツ人は並ぶのがあまり好きではありません。明確に列を作るのはタクシー・スタンド、郵便局とスーパーのレジぐらいです。普通のお店で、売り手がお客様の来た順番を覚えている場合もありますが、覚えていない場合、「ウエア・コムト・アルス・ネヒステス・ドラン?」(次はどなたですか。)と聞いています。

日本留学を振り替えてみる

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初めての日本語のブログ記事では、自分の通訳または日本への関心をテーマをしました。今回は日本領学の経験についてお話していただきます。 当時のミュンヘン大学で日本語を学ぶ授業ではテキストを読んだり、翻訳したり、文法の説明をうけてからその適用を練習したりすることでした。英語の日本語に教科書には一般会話が紹介されるページもありましたが、その分は常に飛ばして、かなりのスピードで進みました。それに不満を感じて、日本人のペン・パルと手紙を交わして補うことができる私が本当にラッキーと思いました。その時代、だコンピュータがそんなに普及していなくて、手書きの手紙でしたが、留学先の大学でのレポートも手書きでしたので、いい練習でした。 それにもかかわらず6年間日本語を学んできて、初めて日本に到着した時は日常会話あまりできなかった私は早々に本当に役に立つ言葉を習って、聴解能力も上げなければなりませんでした。幸いに九州大学の留学研究生はみんな6か月間の日本語コースが提供され、必要な語学力を身につけることができました。一年間半、宗教学研究室で学問的な専門用語を習いながら、自分の研究も始めました。しかし、一番いい勉強になったのは、自分が先生になって、プライベトの授業でも民間大学または市立大学でドイツ語・英語会話を教える機会があったことでした。 日本留学の主な目的は日本語能力をあげることでした 一年半がたって、やっと本格的な沖縄文化史の研究に入れるほどの語学力を得とくしまして、やはり日本留学期間を延長したほうがいいと思いました。幸いに久留米大学に転校できるチャンスがあるとともに自分が教える授業の数も増やすこともできましたので、大丈夫でした。それから、日本語でヨーロッパ事情という講義を持つことで、先生としての一番大きいチャレンジに面していました。その毎日の練習と友達の助けによって、1993年12月は日本語能力試験の2級と1994年の12月には1級を合格できました。ここでも皆さんに感謝を申し上げたいと思っています。 結局、日本滞在は5年半になりましたが、日本人とあらゆる国々出身の友達と楽しいときを過ごしました。しかし、少しづつ将来についてもいろいろ考えなければならなくて、いろいろと調べたあげく、やはり博士論文をドイツ語で書いて、ミュンヘン大学に提出したほうがいいとの理由でドイツに帰ったほうがいいと分かりました。そのときもずっと前から翻訳・通訳として文化の間の橋を築きたいという夢を思い出して、会社を設立するにはもうまた母国のほうがやりやすいと思って、ドイツの帰りました。 会社の設立とその十三年の歴史について、次回のブログでお話しさせていただきます。  

ドイツ人日本語通訳への道(九州大学へ)

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ドイツの美しい町として知られているビュルツブルグでイギリス人の母とドイツ人の父に育てられました。長女なので最初からバイリンガルで、外国語と異文化への興味が当然だと見えますが妹も弟も全く違います。実は、通訳の最初のお客さんは三才下の妹で、私がいなかったきイギリスのいとことコミュニケーションが通じなかったからです。のちに、高校生の時スコットランドに留学したところ、フランス人・ドイツ人・スコットランド人のパーティでも三つの言葉の間に通訳する楽しさの経験があって以来、お互いの言葉がわからない人たちの間に立って、コミュニケーションの橋を架けようという通訳を本業にする希望が湧いてきました。 それで高校卒業後まず英語・フランス語の翻訳者になりたいと思っていました。しかし、ドイツでは、人気がある大学のコースに入るために高校卒業試験で高い点数を獲得しなければならないのです。大学の翻訳コースはマインツ大学だけにあって、とても人気があったので、平均レベルの点数しか取れなかった私にはとても無理でしょうと思って、その代わりにミュンヘン大学で比較文化人類学を主専攻にしました。ドイツでは文学部に入ると主専門以外に二つの副専門も勉強しないといけませんが、なかなか決めなかったのです。 ドイツ人が日本語を勉強する 三年生になって、やっと日本学に決まってから不思議な魅力がいっぱいの別の世界への扉が開かれたように感じました。副専門なのに、最初は100人以上の主専門の学生と同じ授業や中間テストまでも受けて、先生に専門を変えることを推薦されましたが、結局変えなくて、無事に修士課程を終えました。。 修士論文は日本の最南端の波照間島の世界観について書いたときは、その島に全然行ったことがないなのに、ドイツ国内にあるドイツ語・英語・日本語の資料に基づいた理論の話だけになることに不満を感じて、初めて日本に行く興味がわいてきました。そのチャンスが博士課程に入ってから半年後に来まして、1990年の十月は文部省の奨学金をいただいて、研究生として、福岡市にある九州大学の文学部宗教学研究室に身をおきました。

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